もうこれはあれだ。 遠坂が『アクア・エ・スオロ』の高級フレンチを奢ってくれるぐらいの奇跡か、どこかのマーボー好きの不良神父が、担任として学園にやってくるぐらい質の悪い事が起こっている。 そして今のこの状況はどちらなのか、みんなの呆然とした表情と、凍りついた時間が証明してくれていた。 いるだけで酔いそうだった居間の空気もすっかり醒めてしまって、鼻がもげそうなアルコールの臭いもすっかり窓の外。 つい今しがたまで青い顔をしていた遠坂がすっかり素に戻ってるし、イリヤも読書の体勢のまま、白いブックカバーの付いた本を取りこぼしていた。 桜にいたっては、切り分けたリンゴを、刀の試し斬りのごとく、見事に斜め真っ二つにしてくれている。 あのカレンですら大きく目を見開いたまま固まっているのだから、ことの異常性が見て取れるだろう。 その中で唯一、バゼットだけが、穢れを知らない純粋無垢な少女の寝顔で、夢の世界へ、ゴー・トゥ・ヘブンされていた。 「士郎っ、士郎」 すぐ隣から届いた切羽詰った声。声量が幾分か小さいのは、おそらくこの異空間と化したこの空気に声もでないという事だろう。 だけど、そんな言語が発せないほどとは思えない俺は、いつも通りに答えを返した。 「なんだよ? 遠坂」 「――――士郎、ちゃんと自覚ある?」 小さな間を空けて、怪訝な表情をする遠坂に、 「自覚って何だよ? いくら天変地異のような異常事態でも、今、起こってることぐらいちゃんと理解してるよ」 もうこれ以上ないっていうほど、ベストな返答をしたつもりだったんだけど、目の前の赤いアクマはお気に召さなかったらしく、やっぱり、と渋面を手で覆った。 それから無言で顔を微かに動かして、何かを指し示す。その先にあったのは、衛宮 士郎。つまり俺だった。そこで――――、気付いた。 身体が震えている。 ははは、まいったな。一番動揺しているのは俺じゃないか。 心を満たすのは安堵と喪失感。この相容れぬ二つが俺の中で確かに渦巻いていた。 望んでいた事なのに、それがいざ起こるとこうも動揺してしまうものなのか。 なんで、こんな事になったんだろう。 頭の中の砂嵐を突き進み、記憶を遡っていく。 どの記憶も砂に埋もれていて、思い出すのに苦労しそうだけど……。 「士郎? 目がトんでるわよ!? お、おいこら! 戻ってこーい!!」 Fate/stay liminality 第二話 「タイガの一念、岩をも徹す!」 「本っ当に悪かった!」 目の前の男の人。功刀 禄朗さんは仏を拝むように、顔の前で手を合わせた。 「てっきり衛宮の野郎が、年端もいかないガキをイテコマしたのかと思ってよ」 「はは、いいですよ。気にしてませんから、顔を上げてください。さっきも言ったじゃないですか。こっちに被害はなかったんです。謝られるいわれはありませんよ」 独特の言い回しと、それにそぐわない真剣な面持ちに、思わず苦笑が漏れた。 それに被害がなかったというのも本当だし、……まぁ、遠坂に関しては気の毒というしかないな。 俺は改めて功刀さんのちょっと個性的な、――いや、かなり独創的な姿を見直す。 不衛生な無精ヒゲに、ボサボサの髪の後ろだけをゴムで留めているから、尻尾のように後ろ髪がピョコンッと出ており、それだけなら毎日空き缶を集めている浮浪者。 だけど、難題に挑む哲学者の如く、眉間に刻まれた深いシワと、眼差しというにはあまりに強すぎる眼力が、彼を浮浪者から、毎日お金を集めているヤのつく人へと、その印象を劇的に変化させていた。 それともう一つ。 功刀さんが切嗣と顔見知りと聞いたときから、いの一番にこれが思い浮かんでいた。 「その……」 今までは自然と聞いていたせいか、改めてちゃんと訊くのはちょっと恥ずかしい。 「ん? なんだ?」 功刀さんだけじゃなく、遠坂とイリヤの視線も集まる。 はぁ、そんなに見るなよ。大したこと言わないのに全校生徒の前で、挨拶させられるみたいじゃないか。 肺に酸素を取り込んで、なけなしの勇気を水増しする。 「親――、……衛宮 切嗣を知ってるんですよね」 切嗣の死を聞いたときは短く、「そうか」と息を吐くように呟いただけだったから、もしかしたら仲が悪かったのかもしれない。 例えそうだとしても、この人に訊きたかった。 俺が知っているのは、この家にいた時の『じいさん』と、聖杯戦争の時の『正義の味方』だけ。 「教えてくれませんか?」 功刀さんを真っ直ぐ見据える。 白と黒。陰と陽。 まったく正反対のあり方をしていた切嗣の、どちらにも傾いていないグレーゾーン。 じいさんでもなく、正義の味方でもなく、『衛宮 切嗣』が知りたかった。 俺の熱意が伝わったのか、功刀さんは、ふむ、と顎に手を添え、数瞬、思案した後、これ以上ないというほど軽やかに、弾むように、 「バカ?」 「――――」 え〜、まさかのひと言。しかも訊いてるのこっちだし。 ついさっきまでのシリアスな雰囲気はもはや懐かしい過去の産物と化していた。 もう、朝起きたらバーサーカーとランサーがオセロしてるぐらいのポカーンだ。 遠坂はともかく、切嗣の本当の子供であり、過ごした時間が少なかったイリヤはもっと関心があるに違いない。 だけど、 「イケ好かない。フェミ全開。二重人格――――」 指折り数えながら、切嗣の悪口がしばらく続く。 亡くなった人の陰口なんて失礼な事この上ないが、悪口になってたのは最初の方だけで、後は「貸した金返せー」とか「あの酒飲み対決は負けてねー」とか、ただの愚痴に変わっていた。 そして最後には、 「あぁああぁぁ! なんか思い出したらムカついてきたぞーッッッ!」 とか叫び出す始末。 あぁ、これはさっきのを訂正しなくちゃならない。 多分、イリヤと遠坂も同じ答えにいたったんだろう。真剣に話を聞いて損をしてしまったといわんばかりに肩を落とした。 功刀さんと切嗣の仲が悪い? とんでもない。二人は絶対親友だったに違いない。 まるで、気心知れあった者同士のじゃれ合いを見ているようだ。 聞いてて呆れるというか、微笑ましくなってしまう。 大声を出してエネルギーを使い果たしたのか、功刀さんのお腹がなんとも可愛らしい音をたてた。 「あら、そういや朝からなんも喰ってなかったな」 腹を押さえて唸る。 時刻はまだ正午には少し遠い。 ここに来た時間とあの季節を無視した格好を考えれば、恐らく機内食を食べなかったんだろう。 「ちょっくら飯喰ってくっか。――――じゃあな。衛宮ジュニア」 「あ…、ちょっ」 「ちょっと待ちなさい」 膝を立てて立ち上がろうとした功刀さんを引きとめたのは、俺の声ではなく、我が家のチビッコお姫様、イリヤだった。 「貴方には色々と訊きたいことがあるの。座りなさい。――――これは命令よ」 イリヤのチョーが付く高飛車発言に、功刀さんの顔が険しく曇る。 これを聞き慣れない人が聞いたら、言葉を失うか、功刀さんのように表情を険しくするか、どっちかになるのが普通だよな。 そしてそれに同調するかのように、部屋を漂う空気の硬度が増していく。 自分の知らない切嗣を知っている人が現れたんだ。イリヤの気持ちも分かるけど、他人にモノを尋ねるんだから、もうちょっと言い方ってモノがあると思う。 「おい、イリヤ。いくらなんでもその言い方は――――え?」 我が目を疑った。功刀さんの顔に浮かんだものは、不快感や嫌悪感の負の感情ではなく、あまつさえその逆。相手を見下し、試すような獰猛な笑みだった。 「――――それ相応の対価はあるんだろうな。ネコ娘」 ネコ娘? と一瞬首をかしげるイリヤ。 しかし、すぐさま唇を吊り上げ、その辺りのヤンチャくれ坊主なら裸足で逃げ出そうかというガンを正面から受け止めた。 「いいわ。貴方に最高の料理を食べさせてあげる」 俗いう、その喧嘩買ったぜ! という状況だ。 「…………」 あの〜、そのお金を払うのは俺なんですけど? 遠坂……はダメか。あのニヤニヤ顔はこの状況を楽しんでやがる顔だ。 なにわともあれ、財布役のすることはただ一つ。 俺は立ち上がって台所に向かう。その途中、 「いい士郎。今朝みたいなご飯出したら許さないんだから」 こちらを振り返らずに告げるイリヤの背中が、人形いきにするわよ、と炎を上げていた。 「……善処する」 陰鬱な気分を抱えながら台所に入った。 こんなに暗い気分で炊事場に入ったの初めてじゃないだろうか。 エプロンを装着して準備完了。 これから衛宮 士郎にとって最大の試練が訪れようとしている。 もしかしたら、これが死に装束になるかもしれないな。 なんて、冗談とも本気とも取れる言葉を心の中で呟く。 にしても、 「――――」 「――――」 テーブルを挟み、互いに睨みあう龍と虎。その口元には、隙あらば相手に喰らいつかんばかりの凶暴な笑みを貼りつけていた。 案外気があってるんじゃないのか? あの二人は。 「だからな。ここでアイツがその女に手を出さなきゃ、町から逃げ出さずに済んだんだよ!」 功刀さんは飲み干した湯飲みを、乱暴にテーブルに叩き置いた。 あれから結局、俺は習得した全ての料理スキルを注ぎ込み、「クソ不味い料理は喰わねぇ」と豪語する功刀さんの舌をなんとか満足させられたらしく、何とか人形にされずに済んでいる。 本っ当に人形は勘弁してほしい。 今、功刀さんが喋っているのは『地中海の栄光と墜落』という事件で、なんでも切嗣と二人で地中海にある町を救って大金を手に入れたんだけど、切嗣がその町のギャングのボスの奥さんに手を出したらしく。 しかしよくよく聞いてみれば、手を出したのは功刀さんで、その女の人が切嗣に乗り換えようとしたところを、旦那にバレたみたいだった。 後に続くのもそんな話ばっかりで、事件とかいうより、二人の珍道中といった方が正しいかもしれない。 構図的には功刀さんが暴れて、切嗣がやんわり受け流したり諌めたりするのが一つのパターンなのだが、ごくたま〜に入れ替わる事もあるとか。功刀さん曰く、 普段キレない分、アイツがキレたら手に負えん。らしい。 そんな二人の浪漫飛行話にも、イリヤは満足げで、話一つ一つに無邪気な笑い声を上げたり、興味津々に目を輝かせたり、その微笑ましい姿が見られるだけで、こっちも頑張ったかいがあったというもんだ。 「信じられるか? あの野郎、俺ごと敵を撃とうとしたんだぞ? ありえないだろ?」 「それは敵に捕まるロクロウが悪いでしょ?」 「あ、あれは油断だよ油断。それにアイツはノータイムで撃ったんだぞ? ちょっとは考えろっちゅーに」 功刀さんとイリヤはすっかり打ち解けているようで、遠坂も、時折声を漏らして笑ったりと、居間は和やかムードに包まれていた。 そう、今にして思えばこれが、嵐の前の静けさというヤツだったのかもしれない。 家のインターホンが鳴り、俺は腰を上げた。 「はいはい」 居間を出て玄関へと歩いていく。そしていつも通り扉を開いた。 最初に目に付いたのは、日本ではあまり見かけることのない暗紅色のショートヘアー。 以前は鎧のように彼女という存在を守っていたスーツは、今は幾分か和らいで見える。 「よう。バゼット」 バゼットは綺麗な顔立ちをしているが、この通り、いつもスーツ姿にショートヘアーだから、初対面の人にはよく男性と勘違いされがちだけど、彼女は立派な大人の女性だ。 その二十三歳のバゼットは、何故か伏目がちにこちらを窺っていた。 「どうかしたのか?」 何もないのにバゼットが家を訪ねてくるはずがない。 「あの……ですね」 歯切れ悪く、言い淀むバゼット。 「実は朝から面接の受け通しでして」 「うん」 バゼットは、優秀な魔術師を保護(悪く言えば捕縛して幽閉)する、協会の封印指定執行者という物騒な仕事に就いていたんだけど、第五次聖杯戦争が終わって以来その仕事を辞め、今はこの町に住みながら他の仕事を探しているらしい。 らしいというのは少し語弊があるな。 バゼットはいたって真剣に仕事を探しているのだが……いかんせん結果がついてこない。 確か前に聞いたときは二十三連敗中だったと思う。 でも、このバゼットの顔から察するに、数字は今も現在進行形なんだろう。 「しかもかなり早い時間から……」 チラッと上目遣いにこちらの顔色を見る。 薄く朱色に染まった頬。緊張に汗ばむ掌。必死に相手の様子を窺う、小動物のような瞳。 「――――」 普段はムスッとした顔が多いだけに、今のような反則過ぎるぐらい可愛い表情とのギャップが……って、何を言ってるんだ俺は。 でも、言いたいことはなんとなく分かった。 「良いよ。今、ちょっとお客さんがいるけどそれでも良ければ」 ようは朝食プリーズってことだろう。 「お客さんですか?」 「そう、切嗣の知り合いらしくてさ……」 少し前だったか遠坂に、執行者に料理の味なんて関係ない。肝心なのは食べ終わるまでの時間だ。とか聞いたことあるけど、ワザワザ来てくれるぐらいだ。ウチの料理を気に入ってくれたんだろう。それは素直に嬉しかった。 バゼットを引き連れて居間に向かう。 「衛宮 切嗣の……ですか」 思うところがあるのか、俺の後ろを歩きながら、バゼットは腕を組んで何かを思索していた。 「すいません。功刀さん。知り合いが来たんですが。一緒にいいですか?」 「く……ぬぎ」 居間の入り口で功刀さんに尋ねた。最初に訪れていたのはこの人だし、ダメとは言わないだろうけど、一応、礼儀上は訊いとかなきゃいけない。 多分、功刀さんがおいとますると言っても、ウチのお姫様が逃がさないだろうけど。 「あぁ、別に構わねぇよ」 話の邪魔さえしなければね。とイリヤが付け足す。 「その声は……、――――まさか!」 気付いたときは後の祭り。 後ろにいたバゼットは強引に俺の身体をどかして、居間の中に足を踏み入れた。 「あら、バゼットじゃない」 話のコシを折られたせいか、少し不機嫌な声色のイリヤ。 しかし、バゼットがそれに反応する事はなかった。 肩をワナワナと震わせて前方、なぜか功刀さんの顔を指差していた。 「バゼット。他人の顔を指差すなんてレディーとしてあまり感心できないわね」 髪を払うイリヤに続き、功刀さんも、そうだーそうだー、とヤジを飛ばす。 「ふ、ふざけないでくださいッ! 何で貴方がこんなところに居るんですか!?」 居間の空気が震える。 その表情には驚愕と微かな絶望感。まるで功刀さんに対してトラウマでもあるようだった。 「何でって言われてもな〜」 バゼットにトラウマを植え付けた? 張本人は、バゼットを思い出そうとしているらしく、う〜ん、と唸ること数秒。果たして出した結論は? 「……そもそもアンタ誰?」 「「プッ」」 うわ、そこの二人。今、一番笑っちゃダメなタイミングだろ。 でも、やっぱりバゼットは呆然と、ある日突然、両親に「あなた、本当は私達の息子じゃないのよ」と言われた子供のようにただ佇んだまま、やがて肩を落とした。 「バゼットです。バゼット フラガ マレクミッツ。……はぁ、何で今日はこんなに会いたくない人達ばっかりに再会するんでしょうか」 朝からよっぽどの不幸があったのか、座り込んで溜息を吐いた辺りから、何を言ってるのか聞こえなかったけど、どうやらこの二人は、 「お二人は知り合いなんですか?」 功刀さんとバゼットが、同時に遠坂の方へと顔を向けた。そして、 「いや全然」 「不本意ですが」 あれ? 声がハモったは良いけど、その意見は正反対だ。 おそらく正しいのは、 「どこで知り合ったんですか?」 「ちょっと待てや! 俺は知らないつってんだろうが!」 「はいはい。それで、バゼットとロクロウはどこで知り合ったのよ?」 いや、聞いてあげようよ。二人とも。もしかしたら功刀さんの言うことも……それはないか。 功刀さんの場合どっちかといえば、知らないというより、忘れているんだろう。 「初めて会ったのは、私が封印指定の執行者として任務についてまだ間もない頃でした」 痛みを堪えるような、渋い表情で語り始めるバゼット。それは見ているこっちが痛々しくなるほどだった。 本当に何やったんですか? 功刀さん。 「その時の私の任務は、ある村に潜伏する魔術師の捕縛もしくは抹殺でした。対して功刀 禄朗は別のクライアントからの依頼で、同じく抹殺が――――」 「あーーーッッッ!! 思い出した!」 ほらね? 「あの時の高山病女じゃねぇか!」 大きく溜息を吐くバゼット。 というか、功刀さんはバゼットにもアダ名をつけていたのか。そんなことをしてるから名前を覚えられないんでしょ。 「やっと思い出しましたか。とりあえず続きをいいですか? 当初、この任務は容易なものとされていました。 ――――だけど、結果として私達は苦戦を強いられた。目標は我々の接近を知るやいなや、村人を人質にとり、村の近くにあった古い遺跡の奥に立て篭もったのです。 私達は遺跡に急行しました。しかし、相手は現代で工房を上回る『神殿』を造ることの出来る数少ない魔術師。 遺跡の内部は魔術師の手により、すでに侵入者を迎撃するトラップ要塞へとその姿を変えていたのです。 しかし、例え罠だらけの神殿だろうが物の数ではありません。さっきも言いましたが、当初はそれほど難しい任務ではないはずだったんです。例えば、 ――――誰かがバカスカとトラップを発動させまくらなければですが」 チラッと、目が合うだけで呪殺されてしまいそうな恨みの篭った流し目の矛先には、もちろん功刀さん。 「そ、そんなの仕方ねぇだろ。俺が歩くとこ手を置くとこ全部が、なんでかトラップの起動スイッチだったんだから」 あ〜、漫画とかでよくいるな。狙ってるんじゃないかと思えるほど、動くたびにトラップ発動させる人。 「でも、私はあの時忠告したはずですよ? 並んでいる鳥の石造には触るなって」 「お前も人のこと言えないだろ! あんな馬鹿デカイ石が転がってくるようなトラップ発動させやがって。あれせいでどんだけ遠回りしたか。あれぐらい自慢の拳で砕けよ!」 「いいですか、1mや2mの岩ならともかく、あんな5mもある岩をどうやって砕けっていうんですか? 貴方こそ何もしてないじゃないですか」 「したよ! 最後のパズル解いたの誰だと思ってるんだ! 私には……選べません! とか言ってボロボロ泣いてたくせに!」 「泣いてなどいません! そもそも貴方は自分の運に頼りすぎる」 「それで助かったのはどこの誰だよ!」 なんかもう子供の喧嘩みたいになってきた。 それにしても、バゼットがここまでハッチャけるのは見たことないな。 功刀さん本人もワザと相手を怒らせようとしているわけじゃないだろうけど、無意識というか、性格によるところが大きいと思う。 こういう人は知らないところで沢山の敵を作ってるタイプだ。――――まぁ、同じ数だけ味方も作ってるんだけど。 それで、結局任務はどうなったんだろう? 「任務はどうなっ――――」 「ロクロウってどれぐらい強いの?」 おぅ、シスター。実力うんぬんでモメてるのに、どれぐらい強いのとか訊いちゃダメでしょ。 「良〜い着眼点だぞ、ネコ娘。――――いいか、魔術界で俺を知らない者はいねぇ」 おっと、サインはお断りだからな。と自慢げな功刀さん。 イリヤは、へ〜、と感服するが、遠坂はなぜか腑に落ちない様子で首をひねっていた。 「ある意味、彼を知らない人はいないですね」 ここで再びバゼット。 「ある意味ってどういうことですか? 実力があるから有名なんじゃ……」 「彼の場合は実力で有名なわけではありません。どちらかと言えば、その逆。不真面目すぎて有名なんです」 「不真面目すぎて?」 ――――そういうことか。それなら遠坂が首を傾げてたのにも頷ける。実力で有名、しかもこれだけ個性的な人を、時計塔に行っている遠坂が、噂の一つも聞いてないはずがないんだ。 つまり功刀さんは、実力という正当かつ華やかな評価ではなく、投げやりで無責任という悪評で、顔が知れ渡っているのか。 「功刀 禄朗は自分の主義に合わない依頼はしない。受けたとしても途中で放り出すことも珍しくありません。ですから、彼に依頼を頼む人物はよっぽど切羽詰っているか、後ろめたいことがある人だけなんです。はっきりと言わせてもらえるのなら」 ――――魔術師としての腕は、衛宮 切嗣のほうが数段格上です。と、バゼットは時代劇の侍の如くバッサリ斬り捨てた。 「――――ヘッ! 言ってろ言ってろ! そのうちゼッテー泣きみせてやるからな」 なんて悪態をつく功刀さんは、さながら中学生か高校生のようで、 功刀さんって、そのへんの不良がそのまま大人になったって感じだな。 そんな印象を抱いた。 俗世に縛られず、何者にも隷従せず、自分に服し、自分の為だけに動く。 究極の自由。 「ところでよ。衛宮ジュニア」 「あ、はい。なんですか?」 「さっきの姉ちゃんどこいった?」 「――――」 あまりの驚きに心臓がとび出そうになった。 遠坂も、明らかにマズイという表情を浮かべる。 き、気付かれた。何とか誤魔化せたと思ってたのに。 そう、今も功刀さんの額に赤々と残る痣を刻んだタイガームーンは、功刀さんがお客さんだと知るなり、 「……月が私を呼んでいる!!」 と、ギリギリのことを言ってブッチをかましてくれやがった。 功刀さんは、女? そんなもん関係ねぇ! って言いそうな性格だし、もしかしたらお礼参りとか本気で考えていそうだ。 とりあえず、現状回避を優先しよう。 「あ、え〜、学校に行ってます」 「あの姉ちゃんあんなナリして高校生か!? それしちゃ、ずい分と……」 「いえ、藤ねえは学生じゃなくて、教員なんです。今日は顧問をしている弓道部が、大会前の特別練習をしてて、それの付き添いをしてるんです」 今まで散々、罵詈雑言をばら撒いていた人間とは思えないほど、瞳を泳がせる功刀さん。 「……そうか」 案外、大人しく引き下がった。 この様子からするに、報復はなさそうだ。 「それまで待たせてもらって良いか?」 「良いですよ」 部屋の中の時計を見る。時刻はそろそろ正午に差しかかろうとしていた。 「そろそろ時間だし、みんなでお昼ご飯にしませんか?」 「お、良いね!」 「貴方はさっき食事をご馳走になったばかりでしょう?」 「あ? お前こそいつから悠長に飯食うようになったんだよ? あの時みたいに、食事に味は必要ありません、って言いながらクッソ不味い固形燃料喰ってろよ」 ピキッという音がしそうなぐらいの勢いで、バゼットのこめかみに青筋が浮かぶ。 同じように功刀さんも瞼を引きつらせ、ここでマッチを擦ろうモンなら、即座に核爆発でもしそうな雰囲気だった。 「遠坂達もいいよな?」 「私は構わないわよ。後輩として、功刀さんの話はそれなりに参考になりそうだし」 「私も。そのかわり切嗣の話しいっぱい聞かせてもらうんだから。等価交換でしょ?」 「おう、あんな話しで良けりゃ、いくらでも訊かせてやるよ」 よし! 功刀さんも快諾してくれたし、後は、 「バゼットも構わないよな?」 「――――」 一瞬だけ迷った表情をしたバゼットだったが、観念したのか、 「……わかりました」 しぶしぶ了承してくれた。 まずはどんなものが好きなのか訊こうと振り返ると、功刀さんは後ろに置いてあった、自分の大きなボストンバックを突然、漁りだしていた。 そして何かを取り出す。 「昼飯喰った後は、もちろんこれだよな?」 ダン! とテーブルに置かれたのはビール瓶の形をしたボトル。中には透明な液体と、 「へ、蛇!?」 蛇が漬けられていた。 「そうよ! 中国の土産でよ。いつ開けようか迷ってたんだよ」 ラベルの「插孔酒」の横に小さく35って書いてありますよ。これってアルコール度数三十五度って意味なんじゃないんですか? 飲みなれない素人には少しツライ数字である。 しかし、みんなの驚きなどお構いなしに、功刀さんはまた違うボトルを出した。 今度は焼酎と日本酒。ビールにシャンパン。まだまだ出てくる。あのボストンバックの一体どこに入って――、 うげ、今度はトカゲが漬けられてるよ。 「ビールとシャンパンは冷やしといてくれ。コイツ等はぬるいと美味くないからな」 お菓子でも投げるように功刀さんは酒のビンを放ってくる。 「お、おっと」 何とかビールとシャンパンをキャッチして、胸に抱える。 テーブルに並べられた酒の数々は壮観だけど、見ているだけで酔いが回りそうだった。 まるで、酒の万国博覧会だな。 それと、最後に出てきた養命酒にはツッコミを入れたほうがいいんだろうか。 「待ってください。昼間から飲酒というのはどうかと思います」 おぉ、さすがバゼット。常識人だ。 キョトンとする功刀さん。しかし、すぐさまニヤリと、悪い予感だけを掻きたてる、不快指数百パーセントの嫌な笑みをバゼットに叩きつけた。 「なんだぁ? 二十いくつかにもなるっていうのに、バゼットは酒の一つも飲めねぇのか?」 「いや、私が言っているのは日曜の昼間から――――」 「お嬢ちゃん達はどうなんだ?」 突然視線を向けられた凛たちは、少し考え込んだ後、 「世界のお酒にも興味がありますし、私は頂きます」 「私は飲まないから、どっちでもいい」 「だとよ。――――お嬢ちゃん達も飲むって言ってんだぞ?」 すいません。イリヤ呑まないって言ってますよ? っていうか俺の意見は初めから却下ですか? 「どうするんだ? バゼット……いや、バ・ゼッ・ト・ちゃん」 ぷちん あ、限界点突破。 「良いでしょう。士郎君、早く昼食の用意してください」 「うぃ」 最初から選択権の無い俺には拒否権も無いならしく、 「はぁ、どうなっても知らないからな」 数十分後の主役達を抱えながら、半ばやけっぱちに台所へと入った。 |